ハートエキスポが終わって家に帰ると、
久しぶりに見た息子が、大きく肉付きもよく見えた。
息子は昔から小柄で、クラスの中でいつも前方にいる。
家に帰って驚いたのは、同じ年頃のアジアの子たちの小柄さだった。
ハートエキスポで出会った子どもたちが、
アジアの支援先の国から来ていたことを、家で改めて思った。
でも同時に思ったのは、彼らはひとからげに「支援先の子どもたち」で
はなく、
少し離れたアジアの国に住む、友人である仲間ということだった。
個性の豊かな、あの子であり、この子であった。
そのことがよけいに、胸の奥をじんとあたたかく、恋しい気持ちにした。
写真を整理しながら、一人ずつの顔写真を見ていると、
いろんな場面とたくさんのエピソードが浮かんできた。
初めは国ごとにかたまっていた子たちも、
最終日のマーケットのときには、国は関係なくわらわらと楽しそうに散
らばっていた。
肩を組み、手をつないでいる写真を見ると、
一緒に過ごした時間が紡いだものを、とても大切に思う。
同じ国の中で一人だけ、ずっとグループに入れない子がいて、
終わりも近づいたある時、これでいいのか考えてほしい、とグループの
子たちに話してみた。
次の日に宿舎の廊下で、一瞬だったけど見た光景は、
いつも一人だった子を囲んで、楽しそうに一緒の部屋に入って行くとこ
ろだった。
どんな状況だったかわからないけれど、何かうれしかった。
尾小屋で入った温泉は、私は2回目からの参加だった。
聞いていた初回の大変さが嘘のように、洗い場も脱衣所も問題なく、
国ごとのグループで露天を楽しんだ。
どのグループもあまりにくつろいで楽しそうなので、
「この場面も写真に撮りたい」と言うと、
「きゃー」とか「やめてー」みたいに笑っていたが、私は実は結構本気
だった。
本当にみんなに見せたいくらいだった(湯船の首から上だけね)
思春期の少しふてた感じは、国に関わらず同じなのもおもしろかった。
首からかけている名札をTシャツの中に入れたり、
リハーサルでいろんな指示が出ると、ぷい、とした顔になったり、
素直でがんばり屋さんの面と、思春期の「びみょー」な感じが、
それぞれの子によって出方が違っていて、
どうするのがいいかなと思ったり、おもしろかったり。
もっと自分にゆとりがあったら、言葉は足りなくても、
彼らの心配事や言いたいことに、もう少しちゃんと対応できたのかもし
れない。
ふてていても、正面から話したことにはちゃんと向き合ってくれて、そ
れもうれしかった。
荷物を運んでいると、駆け寄ってきてさっと手を差し伸べてくれた子た
ち。
廊下を歩いていると、エスコートするように腕を差し出した子。
カメラを向けると、いつもアイドルばりのピースを決めてくれる子。
朝の洗顔、髪を整え、タナカまで、身だしなみが丁寧な女の子たちと、
それを見て少し反省した自分。
消灯時間を過ぎても廊下の月明かりの下でひそひそおしゃべりしていた
女の子たちの光景。
移動のバスの中で、自分が編んだだろうミサンガを腕を取って結んでく
れた子。
マーケットで、自分と同じ指輪を私の指にはめてくれた子。
自分たちの孤児院の写真を、じっとたたずんで眺めていた後ろ姿。
感極まって泣きながら抱きついてきた子。
Tシャツに言葉を書こうと言い出して、廊下にしゃがみ込んで背中に書
き合った時間。
いつも笑顔の子。
泣き虫の子。
恥ずかしがりの子。
いろんな場面での手のぬくもりも思い出される。
日本人の感覚で友だちのように思った頃、疲れでダウンする子が出てき
た時、
現地ではもっとたくさんの大変な子どもがいて、病気になれば死ぬだけ、
と言われた言葉には、はっとした。
彼らはその場所に帰って行くことを、今更みたいに思い出した。
それでもこの子たちは、地域で、国で、リーダーになって行く子たちだ
ろう、
だから今回来たんだろうと思うと、これは始まりだと思えた。
宿舎での最後の夜、荷物を取りに入った部屋には女の子たちの多くが集
まっていて、
入った途端に囲まれた。
そして「これが終われば私たちを忘れてしまう?」と詰め寄られた。
「忘れることなんて、一生できない」
私は必死で答えた。
忘れることなんて、できないよ。
これは始まり。
私たちがこれからつながり続ける始まりに過ぎない。
それぞれの子どもたちは、どう大きくなって行くのだろう。
子どもたちの周辺でどう波及して行くのだろう。
私自身も、どう変わって行くのか見えなくなってきた。
どんどん変化して、進化して、
国も言葉も宗教も超えてつながっていけたらいいと、
心底思った。
それにはまず、自分の足下をこつこつやることだと、
そこに行き着いてしまった。
また、会おうね。
その日まで、お互いそれぞれの場所で、ガンバ。
成田 忍
