2007年11月11日日曜日

体調が崩れる



気候も、食事も、習慣もちがう日本に渡って、その間宿舎の移動が、3回。
早朝から、夜遅くまでの作業。
そして、言葉の通じない日常。

そんなこの期間の体験は、体調を崩さない方が...稀かもしれません。

期間中は、どの子も体調はよく順調でした。
しかし、いよいよ明日舞台に立つというときに、ばたばたと数名が発熱。
子供担当の救急隊に緊張が走りました。

移動ごとに体験するのが、クーラー。
この温度差に、日ごろしっかり食べれてない子供たち。
どんどん体力を落とし、発熱ということになったのでしょう。

ここまで準備した舞台での出番を前に、笑顔が消え、顔色が悪くなる。
周りは、なんとか元気になってもらおうと、手を尽くします。
そして、日本では当たり前の対応を取ろうしているときです。
現地で子供たちの生活を知っている方から適切な指示が飛びます。

「薬をむやみに与えないでください。
現地にかえると手に入らない薬に、体慣れてしまっては、
かえってかわいそうです。」

「体調を崩した子ばかりに意識を向けないで、
元気でがんばっている子供たちをほめてやってください。
病気になったらやさしくしてもらえると受け取っては、
この子たちの自立につながりません。」
(これは、体験レポートにも、書いてくださっています。)

特に孤児院から参加している子供たちの様子は、一人が体調くずしたとたん、また一人、また一人と、元気な子たちまでの顔に笑顔が減ってきました。
そんな中、現地NGO関係者(彼女もとても若くて、子供たちとあまり年齢差はない)が、子供たちの中で、屈託のない笑い声をあげます。
その笑顔に、日本人スタッフもはっとさせられます。
そう、心配や不安をそのまま顔にだしていては、その雰囲気が弱いところからどんどん伝染します。

NPO関係者は、自分たちもわずかな睡眠時間でがんばっている中で、
暗いムードになっている子供たちにむかって、笑顔でおでこを
さわりながらもっともっと働きなさいと、自らが手本を示す姿は、
私たち日本人スタッフは、はっとさせられる連続です。

「危険だから」「元気じゃないから」「体調を崩しやすいから」
そんなことばかりに意識を向けるのが、保護者、親の仕事になってしまっている日本の、なにか中心がづれているのではと、このエキスポで感じていたのは、少ない人数でないと思います。

2007年10月18日木曜日

1週間アジアの仲間たち(子供たち)と過ごして思ったこと(体験レポート)


ハートエキスポ 1Weeks 参加 今田佳子さん(京都)より


1週間アジアの子どもたちと過ごして思ったこと。

言葉が通じなくても気持ちってわかるんやなあってことでした。

不思議に思うことがいろいろとありますが、なんで地球はひとつやのに、言葉はいっぱいあるんやろう。

言葉もいっこだけやったらわかりやすいのになあ…って。

今回も、英語のしゃべれない私には、子ども担当でちゃんと迷惑かからんようにできるかなと、いう心配がちょっとだけありました。

ほとんど、子ども担当でうれしいなっ!という気持ちだったので、言葉のことは考えないようにしていました。

実際お風呂に入るのをいやがる子どもたちに、関西弁で大丈夫やし一緒にはいろーとか、気持ちいいねえとか話しかけてましたが、何となく伝わっていたように思います。

そのときに、言葉って、文字だけではなく、思いとか、気持ちとか、いろんなものを込めて自分の中から出してるもんなんやなあと思いました。

今、こう書いて、自分の話す言葉に気をつけよう!と思いました(^_^;)

お風呂では、白山合宿最終日、初めて湯船に肩までつかれたお風呂に慣れてない国々の女の子がきゃあきゃあ言ってるのをどの国の子どもたちも笑顔で、よかったねえという風に拍手したり笑顔を向けたりしていたのが心に残っています。本人はちょっとひきつってましたが、みんなで入れて楽しそうでした!

けれど、言葉が通じなくて悪いことしたなあ、と思うこともありました。

ちょっと心も体も疲れているカンボジアの女の子がいました。

観光会館に移動する前、英語がしゃべれないその子は、カンボジアの男の子に通訳してもらって、薬がほしいと訴えました。

何の薬なのか、本当に必要なものなのか、何か不安に思うことからきているのか、全くわかりませんでした。

車に酔うから酔い止めがほしい、というようなことでしたが、今、薬を与えることがこの子のためになるとは思えないまま、英語の話せる人に託しました。

結局、薬は飲まずにバスにのったようでした。

彼女は観光会館では近くにきて、折り紙の飾りを黙々と作ってくれたり、みんながあきてやめても、最後まで手伝ってくれたりしました。

自分のことを見てほしいと思っていたのだと思います。

お互いに言葉は通じないので片づけが終わった後ぎゅっと握手をしました。

そして、手え疲れたやろーと話しながら彼女に手のひらをマッサージしました。

すると今度は、私の手を取って、同じようにマッサージしてくれました。

言葉はありませんでしたが、心のなかでいろいろと話しかけました。

子ども担当でめっっちゃよかったああ!!と思う出来事を!

観光会館の舞台が終了し、次の準備をしていると、「子どもと帰る人いいひんからはよ来て!」と言われたので、いのあけさんにあたふたと次のこと(大変なことになってすみませんでした)をお願いしてバスに飛び乗りました。

子ども担当二人で立ち乗りしつつ(もちろんアジアメンバーで席は埋まってますので)汗をふいていると(エアコンは動きません)、突然子どもたちの大合唱!平和の歌!

カンボジアの女の子が音頭をとって、ミャンマー語、カンボジア語、スリランカ語、また日本語と延々続きます。

体中で歌ってリズムをとるのでバスがゆれることゆれること!

最高に幸せな時間でした!

そして宿泊所に到着…なんと、すぐ後ろをカンボジアプリンスの車が来られていたそうです。

降りられてすぐ、「このバスはジャンプしながら進んでたけど、何してたの?」って楽しそうに話しかけてくださいました。

とってもとってもこころがうれしくて、今でも涙がでるくらいすてきなできごとでした。



最後の日、ぎゅっと手をつかんでくれたカンボジアの男の子がいました。

最初は何をするにもつまらなさそうで、自信なさそうで、あんまり笑ったとこを見なかったのに、I miss you.って最後に言ってくれました。

もっともっと笑いかけたらよかったなって思いました。

カンボジア行って、もう1回チャンスをもらいたいと思っています。



そして、1番心に残った言葉は、途上国に赴き支援を続けられている方の、おしゃったことです。

宿泊所を移動したり、本番を控えたりで、体調を崩す子が多くなったときのこと。

「しんどそうな子にだけ声をかけないで。元気な子にも、ようがんばってるなあって抱きしめてやって。」

その後にこう続きました。

「自分の国では、病気になったら死ぬこともある。病気になったらつまらんなあって思うようにせんと。しんどくなったら優しくしてもらえると思ってしまったらどうすんの。」と。

この言葉に深く打たれました。

本当に辛い思いをしている子どもたちを見てきたから言える言葉だと思います。

そして、アジアの子どもたちを心から愛をもって自立支援をされていることが伝わってきました。

ハートエキスポはまさしくその支援をするべくして開催されたのですから。このような体験をさせていただいたことに、心より感謝しています。

私にとってのハートエキスポ(体験レポート)

広島から3Daysにて参加した迫谷道代さん(みっこちゃん)からのレポートです。哺乳瓶隊としてカンボジアに哺乳瓶を届けるダイレクトアクションを体験されました。
ちょうど、そのころハートエキスポに参加する子供達を選考が行われ、石川で半年ぶりの再会となりました。
みっこちゃん、レポートありがとうございました。


これは、レポートの中にでてくるHIV孤児院。子供達の前で「平和の歌を歌おう」を歌うダイレクトアクションメンバー

始まりは9 月の東かがわ。
何がなんだかわからないまま、私の中に生まれた流れのままに足を運んだ。
そこで出会った人達との時間と
「勇気を持って一歩踏み出せ」セアロからのこの言葉に背中をおされ
哺乳瓶隊に手をあげていた。
ひどい咳が治らないまま、肋骨の痛みを抱えたまま
突き動かされるように赴いたカンボジア。
初めての経験。初めての場所。
顔、街並、文化、風習、風の匂い…。
なにもかもが違うように見えた。
でもそうではなかった…。同じ大地の上で、同じ時間が流れてるんだ。
そして1 週間をともに過ごした仲間達。

その旅の中で特に心に残った、最後の日に出会ったHIV 孤児院の子供達。
一人を抱きしめると、次の子が手を伸ばしてくる。
みんなを抱きしめたくて時間を忘れてただただ抱きしめていた。
涙が止まらなかった。
ほんとはね、私の方が抱きしめられていたんだ。
「またくるね!!」そう叫びながら、バスに向かった。
一人一人の顔を覚えているわけではないんだけど、
今でも目をつむるとあの子達の瞳が浮かんでくる。

そして迎えた石川ハートエキスポ。
私に出来たのは3 日間のお手伝い。
嬉しかったのは3 年と1 年になる子供と一緒に参加できた事。
そこでの、仲間達との再会。カンボジア、ミャンマー、スリランカの子供達。
みんな体力的に疲れながらも輝いてる!
ああっ!分かるよ。私、覚えている。
あの孤児院で弟や妹の後ろで温かく見守っていた彼らだ。
思わず手を差し出す。笑顔が帰って来た。
「I remenber you」彼らも私の事を覚えていてくれた。
嬉しくて、だきあって、泣いた。
私には語力がない。伝えたい事も上手く伝えられない。
でも、言葉で伝えたい事ってなに?
一緒に風船膨らまして、なんかツボにはまって大笑いした。
私の手を引いて、弟達のパネル写真の所に連れて行ってくれた。
そしてほっぺにキスしてくれた。
「my family」誰にだったかな、彼らの事を紹介する時、一言だけ私の口から出た言葉。
気持ちは、伝えたい事は、伝わるんだ。

太郎さんの言葉、カンボジアプリンスを始めまだ中学生のことはちゃんのスピーチまで。
自分の体験を通して、一つひとつの言葉が体中に染み渡る。
その国々の伝統を伝える子供達のダンス。どれだけ一生懸命練習したんだろうね。
私は日本という自分の国をこんな風に紹介できるんだろうか?
ファッションショー。
あの時みんなで汗流して測ったクメールシルク。
家の下で黙々と機おっていた彼女達。
そして、これだけの作品を仕上げた仲間達の汗と笑顔。
すべての映像が浮かんで来た。
別々だった時間と場所と人が一つに紡がれたんだ。
涙が止めどなく溢れた。

いろんな考え、思い違いもあるど、それもいいじゃん。
本当に人って素敵だ。
「どこまで行っても友達でない人には会わなかった」
好きなインディアンの言葉の一つなんだけど
私もどこまで行っても友達でない人には会わなかった。
そう、きっとこれからもずっと。
私の中のハートエキスポは、ずっと続いていくんだ。

ハートエキスポでアジアの青少年たちと接して感じたこと♪(体験レポート)


アジアの仲間達が日本に到着すると同時に、ほとんど子供達と同行し、事前合宿から、エキスポ期間中走り回った大阪の大久保登美子さん。
期間最後には、体調を崩す子供達があり肌身離さず薬品袋を背負ってすごしました。そんなたくさんの経験をした登美子さんが、印象に残った入浴のレポートです。



ハートエキスポでアジアの青少年たちと接して感じたこと♪

インパクトが強かったのは入浴です。
入浴は彼らにとって大きなチャレンジだったと思います。自国ではない風習・文化である日本の共同浴場。人前で裸になること、体を清潔にすること何もかもがはじめてです。
なかなか衣類は脱がない。洗いたがらない。設置しているシャンプーを持ち出してしまうし、どんなに見本を見せても嫌がってかたまる。「どうして、こんな経験をしているのか、『どんなに嫌でも違う日本の文化を体験する』って出発前に約束してきたよね」と言っても、きゃっきゃっ、きゃっきゃっの興奮状態の彼女らに、こちらも張り上げた声では全然届きませんでした。(もちろん 言葉もぐちゃぐちゃですし)
 それでも、約束は信頼です。その後、日本人スタッフで話し合い、そして彼らにどうしてこのような体験をしているのか、約束を守ることの重要さ、日本の文化は他人を思いやることをとても大切にしているのだということを丁寧に話ししました。
 すると、どうでしょう。翌日早朝からの彼らの様子は一変していました。きちんと日本式で隅々まで掃除をし、協力して一所懸命に働いています。弥勒寺は日に日にピカピカになりました。
「あ~ さすが☆ 志願して勉強もして各国から選ばれた彼らだなぁ」とまぶしく思いました。
と、同時に伝えるべきを伝えることの大切さを痛感しました。

 私は期間中、何も教えることはできないけれど、彼らが自国に戻ったときに、日本が一番ではなくて、今回の経験を活かして自らの国を立ち上げていく存在だということを忘れずにいようと思って接していました。彼らの中にどっぷり入ってしまっていたところがあるからでしょうか。
終わって、感じたことはみんな変わらないんだなということでした。国籍に関わらず、好きな子どうしでかたまったりするし、働き者は働き、何も気付かない子は気付かない。
 帰宅して、今回の様子を父に話していると、父がポツリと言いました。「いい経験やったろうな。その感動を忘れず国に帰っても続けて欲しいな。簡単な話やないけどな。とても根気のいる話やな・・・」と。
 自国に戻ったとき、どんなに感動しても、やる気になっても、周囲が無気力で、誰も賛同してくれないことだってあるでしょう。でも、こういう機会があって、一人の意識が変わり、一人が変わりで、周囲が国が変わっていくのだろうと思います。それは日本人だってアメリカ人だって同じ事。
続けて歩むことが大切なんだと思いました。たとえ遅々とした歩みであっても、必ず変わることを自ら信じて。そして、「このような体験を重ねる事であきらめている世界は変わるだろうし、青年達が多く体験できる機会が必要やね」と話合いました。

 共に汗を流し働いて一つのものをつくりあげていく、そこには支援されるもの、支援するもの、上下の境界はありませんでした。それぞれが一所懸命にしていたら、いつの間にか心がつながって、しんどさも楽しみも喜びも分かち合える仲間になっていただけでした。

 みんなで何度も練習して歌った「平和の歌を歌おう」楽しかったなぁ。自国のパートになったら自信を持って歌い、教えあって、みんなキラキラしてました。純粋に心が動き続けたハートエキスポでした。
  最後は笑顔でさよなら、また会う日まで♪ 
もう大丈夫 また歩めそうです。みんなつながっているって知っているから☆
たくさんの体験をありがとうございました!! 

私たちのこと忘れてしまう?(体験レポート)



今回、ハートクッキーと撮影隊を兼任しながらも、どの瞬間もカメラに収めようと走り回って、ときにはカメラまでどこに置いたか忘れるほど、一生懸命の忍さんからのレポートです。

ハートエキスポが終わって家に帰ると、
久しぶりに見た息子が、大きく肉付きもよく見えた。
息子は昔から小柄で、クラスの中でいつも前方にいる。
家に帰って驚いたのは、同じ年頃のアジアの子たちの小柄さだった。
ハートエキスポで出会った子どもたちが、
アジアの支援先の国から来ていたことを、家で改めて思った。

でも同時に思ったのは、彼らはひとからげに「支援先の子どもたち」で
はなく、
少し離れたアジアの国に住む、友人である仲間ということだった。
個性の豊かな、あの子であり、この子であった。
そのことがよけいに、胸の奥をじんとあたたかく、恋しい気持ちにした。

写真を整理しながら、一人ずつの顔写真を見ていると、
いろんな場面とたくさんのエピソードが浮かんできた。
初めは国ごとにかたまっていた子たちも、
最終日のマーケットのときには、国は関係なくわらわらと楽しそうに散
らばっていた。
肩を組み、手をつないでいる写真を見ると、
一緒に過ごした時間が紡いだものを、とても大切に思う。

同じ国の中で一人だけ、ずっとグループに入れない子がいて、
終わりも近づいたある時、これでいいのか考えてほしい、とグループの
子たちに話してみた。
次の日に宿舎の廊下で、一瞬だったけど見た光景は、
いつも一人だった子を囲んで、楽しそうに一緒の部屋に入って行くとこ
ろだった。
どんな状況だったかわからないけれど、何かうれしかった。

尾小屋で入った温泉は、私は2回目からの参加だった。
聞いていた初回の大変さが嘘のように、洗い場も脱衣所も問題なく、
国ごとのグループで露天を楽しんだ。
どのグループもあまりにくつろいで楽しそうなので、
「この場面も写真に撮りたい」と言うと、
「きゃー」とか「やめてー」みたいに笑っていたが、私は実は結構本気
だった。
本当にみんなに見せたいくらいだった(湯船の首から上だけね)

思春期の少しふてた感じは、国に関わらず同じなのもおもしろかった。
首からかけている名札をTシャツの中に入れたり、
リハーサルでいろんな指示が出ると、ぷい、とした顔になったり、
素直でがんばり屋さんの面と、思春期の「びみょー」な感じが、
それぞれの子によって出方が違っていて、
どうするのがいいかなと思ったり、おもしろかったり。
もっと自分にゆとりがあったら、言葉は足りなくても、
彼らの心配事や言いたいことに、もう少しちゃんと対応できたのかもし
れない。
ふてていても、正面から話したことにはちゃんと向き合ってくれて、そ
れもうれしかった。

荷物を運んでいると、駆け寄ってきてさっと手を差し伸べてくれた子た
ち。
廊下を歩いていると、エスコートするように腕を差し出した子。
カメラを向けると、いつもアイドルばりのピースを決めてくれる子。
朝の洗顔、髪を整え、タナカまで、身だしなみが丁寧な女の子たちと、
それを見て少し反省した自分。
消灯時間を過ぎても廊下の月明かりの下でひそひそおしゃべりしていた
女の子たちの光景。
移動のバスの中で、自分が編んだだろうミサンガを腕を取って結んでく
れた子。
マーケットで、自分と同じ指輪を私の指にはめてくれた子。
自分たちの孤児院の写真を、じっとたたずんで眺めていた後ろ姿。
感極まって泣きながら抱きついてきた子。
Tシャツに言葉を書こうと言い出して、廊下にしゃがみ込んで背中に書
き合った時間。
いつも笑顔の子。
泣き虫の子。
恥ずかしがりの子。
いろんな場面での手のぬくもりも思い出される。

日本人の感覚で友だちのように思った頃、疲れでダウンする子が出てき
た時、
現地ではもっとたくさんの大変な子どもがいて、病気になれば死ぬだけ、
と言われた言葉には、はっとした。
彼らはその場所に帰って行くことを、今更みたいに思い出した。
それでもこの子たちは、地域で、国で、リーダーになって行く子たちだ
ろう、
だから今回来たんだろうと思うと、これは始まりだと思えた。

宿舎での最後の夜、荷物を取りに入った部屋には女の子たちの多くが集
まっていて、
入った途端に囲まれた。
そして「これが終われば私たちを忘れてしまう?」と詰め寄られた。
「忘れることなんて、一生できない」
私は必死で答えた。
忘れることなんて、できないよ。

これは始まり。
私たちがこれからつながり続ける始まりに過ぎない。
それぞれの子どもたちは、どう大きくなって行くのだろう。
子どもたちの周辺でどう波及して行くのだろう。
私自身も、どう変わって行くのか見えなくなってきた。

どんどん変化して、進化して、
国も言葉も宗教も超えてつながっていけたらいいと、
心底思った。

それにはまず、自分の足下をこつこつやることだと、
そこに行き着いてしまった。

また、会おうね。
その日まで、お互いそれぞれの場所で、ガンバ。



成田 忍

2007年9月15日土曜日

なぜ日本は豊かなのか

なぜ、日本は豊かなの。私たちの国も日本のように豊かになりたい。」

今回のハートエキスポへの参加を希望する、途上国で積極的に自国の自立を目指す青少年たちの、日本に来たい理由の大半がこの内容でした。

ハートエキスポでは、この青少年たちの希望である「日本の豊かさ」の背景を知ってもらうために、戦後から現在までの日本の歩み、特に戦後すぐから猛スピードで復興した時代のことを知ってもらおうというプログラムが行われました。

開催地である石川県のコマツ粟津工場様のご協力で、工場見学と戦後からずっとコマツで働き続けたOBのみなさんのお話などをお伺いしました。

写真は、プロジェクトXのコマツ製作所シリーズを、スタッフが通訳をしながら見ているところです。
日本語、英語、ミャンマー語とシーンのたびに止めて説明をしていきました。けっしてどこか遠い国のしらない人たちの話とは思えない、子供たちの経験と瞳でした。



スクリーンを見つめるその顔は、どの子も真剣そのもの。メモを取る姿を多く見受けられました。次の日に工場見学を控えていたのですが、スクリーンに出て来るコマツの創始者のみなさんを指差して「明日、工場行ったらこの人たちに会えるのか?」と、多くの子供たちが期待いっぱいで質問していました。戦後からアメリカへ自分たちの製品を輸出するまでのプロセスが、彼ら、彼女たちの心を強くひきつけたようで、是非こんなにがんばった人達に会いたいと思ったのでしょう。尊敬のまなざしでいっぱいだったのが、印象的でした。


質疑応答。雇用問題や、休憩時間などの質問も出ていました。
OBのみなさまとのミーティングでは、カンボジアのプリンスが、「このような苦痛な時期の様子を思い出させることになり、心苦しく思いますが、どうぞ、私たちにご指導をお願いします。」という意味合いの言葉があり、きびしい現状を体験した同志のような、貴重なミーティングにもなりました。子供たちは、それをじっと静かに聴いていました。


オートメーション化された工場の様子を見入る子供たち。

現在の日本の豊かさの影には、このような血のにじむような努力と苦労があって成り立っているということを、生で見ることができたようです。
「心をこめて、一生懸命働く。」
わたしたち日本人の中でも、薄れつつある豊かさの土台。
改めて痛感し、ここにこのような純粋な子供たちと学ぶことができたこと、日本招聘の体験はやはりお互いに貴重です。

2007年8月25日土曜日

生きてきた環境を乗り越えて




今回、日本に来たメンバーはそれぞれまったく生活環境の違ったところから、集まってきました。そして、その中でもカンボジアのメンバーの育った境遇ほど違いがあったメンバーはいません。

カンボジア国内でも、支援する側とされる側という環境から同じ仲間として日本にやってきました。
プリンセスの娘という環境、孤児院で生活しているという環境、ある程度裕福で生活に支障のない生活をしてきた環境。
日本に来る前から、その環境の差を乗り越えて共に自分たちの国の自立を目指してがんばろうと約束してきました。


期間中、ついつい一人になってしまう子を何度かスタッフが目撃しています。けれど、それのどちらが悪いんでなく、そうなってしまう現状がそこにありました。
英語のわかるメンバーが、アドバイスする場面もありました。
また、何不自由なく育った子たちは、ときおりこの合宿の不満を顔に表す様子も伺えました。


彼女、彼らの中にどんなことが起こったのでしょう。小さな事件はいくつもあったと思います。けれどそのつど、なんのために自分たちはここにいるのか、ここに来たいと望んだのかを確認しても、もらいました。

日が経つにつれて、そして大きなイベントが終わるたびに、子供たちの顔が変化していきました。
7月7日のステージイベントでは、きっと想像した以上の展開を目の当たりにしたのでしょう。少しずつ、少しずつ、見えない壁がなくなるように、本当に心から仲間同士だとお互いに感じている様子が、はっきりわかってきました。

信じあうこと、分かち合うことの向こうに得られる感動を実感したとき、ある子は、むせび泣くように泣きじゃくり、ある子は凛としっかり胸をはって、ある子はもうただただ抱き合っていました。

今、これをレポートさせてもらっている私自身、彼ら、彼女たちの母国の環境をよく知りません。そんな私がレポートするのは、正直おこがましいのです。が、カンボジアの子供たちと別れる際、「お互い平和や自立を信じて生きようと決めた仲間だよ。私もがんばるから、みんなもがんばろう。そうしたら、きっとまた会えるチャンスがくるよ。」ことばにはならなかったけど、そんなめいいっぱいの思いで握手しました。その時の子供たちの様子は、目の輝きが違っていました。きっと、この衝撃的な体験は、あの子たちの生き方に大きな波紋を投げかけたに違いないと思います。



たとえプリンス、プリンセスといわれる王室の環境だとしても、その昔は、一番命を狙われる境遇をすごし、多くの身内を殺害された経験がある方でした。そんな過去のあるカンボジアという国の未来。けっしてどこか遠い国のしらない人たちの話とは思えない、子供たちの経験と瞳でした。

2007年8月23日木曜日

お互いに名前を覚えよう

ハートエキスポ1Weekを前に、アジアの仲間たちに宿題が出されました。それは、日本人の仲間と合流する前に、ミャンマー、スリランカ、カンボジアのメンバーの名前を覚えようという内容です。

みんな、それまでなんとなく同じ国の仲間同士で集まってしまいがちでしたが、この宿題によりどこそこで、互いにコミュケーションをとろうと他国の仲間に近づいていく姿が見受けられました。

突然、私にも「名前を言ってみて」と互いの名前あてゲームが始まった。
これは抜き打ちでした。「ノーツゥザンソー」「のーざんそー??」読み仮名と発音が違う。何度も言い直して正解だったときの笑顔。自分の名前を呼んでもらえるよろこび。多くはコミュニュケーションできなくても、互いに名前を知っている、そんなことから心は通じ合っていくのですね。

2007年8月3日金曜日

掃除


エキスポ前に、事前学習として宿泊していたダイレクトアクションセンター(弥勒寺)は、大変古い日本家屋です。

アジアの仲間たちには、障子、床の間、畳、どれもこれもはやり日本ならではのこの家屋は、はじめての体験です。

お風呂に引き続き、掃除について日本の心遣いの説明がスタッフからありました。
木でできているので、床に落ちて水滴をそのままにしていたら、いつか腐ってしまうこと。あと、掃除は自分の心磨きだということなど、今の日本人が聞いても、思わず自分を振り返るような内容が、仲間たちに説明されました。

私も含めてですが、日本人スタッフの中には、逆に彼らの現地での生活ぶりを知らないメンバーもいます。
「みんな、実際の生活とどのくらいのギャップがあるのだろうか?」
「私が逆に、向こうに行ったらこんな風に、素直に向こうの環境を受け入れることができるだろうか?。」
ふと、脳裏によぎったことは隠せません。

掃除は、心磨きという説明のがと、2日間、食事後、つぎのプログラムまでの時間に、掃除が行われました。
特に2日めは、日本人スタッフが、昨日あんなにいっぱいしたらか、今日は特別に時間をとらなくても、そのつどでいいんじゃないかなあという予定だったにもかかわらず、アジアの仲間たちは、誰が言い出すでなく、掃除をはじめ、ついには、年末大掃除ではないかというくらい、背の高いメンバーがその上にはしごにあがって、太い梁の上の埃から、どの障子や、ガラス戸のさんも、ピカピカになっていきました。一緒に動く日本人スタッフも、テレビの後ろの埃ひとつまでと夢中になってしまって、笑顔いっぱいの大掃除でした。
畳の目にそって掃く。実践中です。


障子のさんの隅々まで、隅々まで

ずっと雨が降っていたのですが、その日は、久しぶりの日差し。
雑巾が、軒下にずら~と干され、掃除のあとに散歩にでかけ、深い木々の中をみんなで歩いたのが、それはそれは気持ちのいいひと時でした。

お風呂と、掃除。
その奥に流れている心の部分が、理解し、そして自分がなぜここに居るのかという動機、最初の思いを大切にすれば、言葉や、環境の壁は、いろいろなハプニングを伴いながらでも、前に進んでいったように思われます。

2007年7月27日金曜日

日本人はなぜ??


ハートエキスポの1Week企画に先立ち、アジアの仲間たちは、石川県小松市のダイレクトアクションセンターで、3日~4日事前学習に取り組んでいました。

アジアの仲間の最大の難関は、大衆浴場、そう、お風呂です。
湯船につかる習慣、人前で裸になる習慣、そんなこんながすべて皆無。
以前より、ファッションチームのファシリテェーターとして日本にやってきていた女性(ティンティン)が、この大衆浴場や温泉に慣れるのに、本当に苦労していたことから、このお風呂という体験が、かなり高いハードルというのは、先から予想されていたことでした。

女性は特にデリケートな部分ですからそれは、それは、大いなる挑戦だったと思います。

ダイレクトアクションセンターの近くに、地元の方が利用される温泉があります。
露天風呂もあって、山の中のとても気持ちのよいところです。

6月29日
一日遅れて合流したカンボジアのメンバーとともに、いざ温泉初体験です。
予想どおりその困惑ぶりは相当のものでした。
幸い、大雨のせいで地元のお客さまもかなり人数が少なかったので、大きなご迷惑とまでにはなりませんでしたが、カーテンのついているシャワールームに4,5人が隠れるように固まっていたり、バスタオルや、薄い洋服をきたまま入っていったり、それはそれは・・・・。
男性群も、最初は躊躇したようですが、こちらは湯船に飛び込んだとたん、もう水遊び状態で、裸のつきあいが早かったようです。

大衆浴場の隠れたルールも、日本に着いたばかりの彼女たちには、理解などできません。一緒に日本人スタッフも入りますが、言葉が通じず、他のお客さんのマイシャンプーを使ったり、備え付けのシャンプーを持ち歩いたり、冷たい水のシャワーを、隣の人のことを考えず、とにかく早く済ませたくて、手荒に飛び散らしたりと、ハプニングの連続でした。

「日本に来る前に、日本の習慣を体験、学ぶということを約束したことを思い出してくださいね。」

彼らは、今の時点では自分の力で日本に来るということはできません。
多くの人のサポートがあって、この地に来れているということ。自分がここに来て何を得ようとしているのか。そして、約束は守ろうという話し合いがありました。

そして、日本人の大衆浴場などの、みんなで一緒に綺麗になろうという精神、マナーなどを、細かく、説明をしました。

翌々日、もう一度、みんなで温泉に行くスケジュールです。
もう、だれも服やバスタオルを巻いて入ろうとしませんでしたし、シャワーも飛んでいく先も十分気を配り、そして、露天風呂も満喫して彼女たちは温泉を楽しみました。
最初は、理解できないと眉間にしわをよせて受け入れることができない様子でも、日本人はなぜこうしているのかという理由や心が理解できた瞬間、どんどん吸収していきました。

「きれいな目をしているね。笑顔に吸い込まれそう。本当にかわいいね。」
これは、温泉で偶然二回ご一緒することになった地元の方です。
はにかみながら、お風呂に入っている子供たちを見て、目を細めていました。このように好意をもってみた下さった方もいらっしゃいましたが、突然の珍客に、ここは私の席なのよと、洗い場の独占に執着された地元の方もいらっしゃいました。煙たそうな様子は誰の目にも見て取れて、同じに日本人として説明がつきませんでした。

相手を思いやることに長けている日本人の文化。もっともっと大切にと、アジアの子供たちと接して受けた印象でした。